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2025.11.18

国際担当の役得|常任理事/政策・メディア研究科教授 土屋 大洋

7年ぶりに南米エクアドルの首都キトを訪問した。前回は2018年に学会報告に行った。その時はもう南米に来る機会などないだろうと考え、エクアドルからペルーまで足を延ばし、天空の城マチュピチュまで登った。あいにくというか、天気が良すぎて雲海の中に浮かぶマチュピチュは見られなかったが、地球の裏側のめったに来られない場所に来た達成感があった。

今回のエクアドル訪問は大学の業務だ。慶應義塾が参加する環太平洋大学連合(APRU)のシニア国際リーダー会議(SILM)である。2024年のSILMは慶應義塾でホストし、多くのAPRUメンバー大学を迎えることができた。秋の東京を楽しみながらLearning without Limitsというテーマで議論した。

エクアドルでSILMをホストしてくれたのは私立大学USFQ(Universidad San Francisco de Quito)である。キャンパスの中はどこの大学でもあるような賑やかなエネルギーに溢れている。しかし、ギョッとさせられたのが建物の屋上から顔を出している巨大なドラゴンである。学園祭か何かの飾りなのかと思ったらずっとそのまま大学のシンボルとして学生たちを見守っているという。大学のロゴでUSFQのSの字はドラゴンになっており、大学のシンボルなのだ。

会議中のランチは2日ともキャンパス内のレストランで提供された。普通のレストランではない。USFQには料理を勉強する学部があり、数十人分の料理を全部学生たちが料理して出してくれるのだ。真っ白なコックの服を着た学生たちが並んで挨拶してくれた。初日はベジタリアン、2日目はあれこれ混ぜたコース料理が出された。

圧巻だったのはUSFQ創設者の自宅で開催されたディナーレセプションだ。みんなでバスに乗り、グラグラ揺られながらどこまで連れて行かれるのかと思ったが、着いたのは巨大な邸宅だった。エクアドルの私立大学はメチャクチャ儲かるビジネスなのかと誤解したが、どうやらもともと裕福な家系らしい。壁に肖像画がいくつも飾ってあり、あれは何代前の誰々だ、それは私の母だという感じだ。

ドリンクを片手に部屋から部屋を見て回っていると小学生ぐらいの男の子が出て来た。「こっちに来て」というので付いていくと、突然壁がぐらりと開いて秘密の階段が現れた。地下は書斎になっていて、古い本が本棚に収まり、コンピュータが置かれている。当主の部屋なのだろうか。地下なのだが、邸宅が斜面に作られているので四面のうち一面はガラス戸になっていて快適な部屋だ。こんな書斎が欲しい!

今回、地球の反対側の日本から現地参加したのは我が慶應チームだけだった(といっても私を入れて2人だけだが)。中国や香港からの参加はなく、韓国からは延世大学と釜山大学が参加した。USFQの教員が食事時にはたくさん出て来てくれるのだが、日本から来ていると分かるといろいろ話しかけてくれる。ある教員はなんと早稲田大学の名刺入れを使っていた。客員で早稲田に滞在したことがあるらしい。早稲田と慶應の関係も理解していて、「今度は慶應に行くよ」と笑っていた。まずは教員同士の共同研究が始まり、それが学生交換など教育の連携につながればすばらしい。

着席してコース料理が始まると、隣にいたメキシコの大学の人が、この人を知っているかとスマホを見せてくれた。見ると「Miki」と書いてある。なんと理工学部の三木則尚先生のことだった。もともとスウェーデンの大学にいて、その時に知り合ったそうだ。ううむ、さすが三木先生、顔が広い。

ところで、エクアドルと言えば最大の名所はガラパゴス諸島だ。チャールズ・ダーウィンが進化論の着想を得たところである。USFQはガラパゴスにキャンパスを持っている。オプショナルのガラパゴス・ツアーをUSFQが準備してくれていたが、参加するとキトに数日戻って来られなくなり、東京不在が1週間以上になる。常任理事業務だというのも若干無理がある。もう人生でエクアドルに来ることはないからもったいないと思いつつ(それでも2回目があったわけだが)、オプショナル・ツアーは断念してSILMの会議終了後に帰国することにした。

帰国便は深夜発なので、大学院生に会いに行った。SFCの後期博士課程に在籍しているのだが、米国の外交官と結婚して4人の子供をエクアドルで育てながら博士論文を書いている。上の子供2人が元気な声を上げて走り回り、下の子供2人は双子でまだ0歳だ。博士論文のテーマはエクアドルとは全く関係ないので論文を書くのはとても大変なはずだ。しかし、外交官の夫は妻の論文執筆を全面サポートするというので一安心だ。

24時35分キト発の夜行便に乗り、乗り換えの米国ヒューストンに向かう。疲れているはずなのに眠れない。肩が痛くて仕方ないのだ。五十肩が復活したかといぶかしがりながら自分でマッサージして機内で過ごす。しかし、あれはたぶん子供たちと遊んだせいだ。たった1時間遊んだだけで肩が痛くなるなんて情けない。ヒューストンから東京への便ではさすがに疲れて眠ることができた。

帰国してから、ガラパゴスのツアーに参加したはずの他大学の知り合いにどうだったかと聞くと、ガラパゴスでスマホが壊れてしまい、自分の大学と連絡が取りにくくなり、おかげでガラパゴスを満喫できたそうだ。何ともうらやましい。しかし、3年ぶりに大学院生に会うことができたのも私にとってはかけがえのないことだ。

大学の国際担当といっても、何度も同じ都市に行くことが多い。それでも年に一、二度はめったに行けなかったり、行ったことがなかったりするところに行ける。自分の研究や趣味に沿ったところに行けるわけではないとしても、国際担当の役得だろう(とはいえ、次々と出張案件があり、体力的にはきつくて全部は行けない)。

そして、この原稿は、初めて行くハイデラバードに向かう飛行機の中で書いている。第4回日印大学等フォーラムに参加するためだ。インドはニューデリーに三度行ったことがあるが、ハイデラバードは初めてだ。何が待っているのだろう。

SDGsの時代に飛行機にたくさん乗るのは気が引けるのだが(念のためにいうと深夜・早朝の海外とのオンライン会議もたくさんあり、その数はコロナ前とは比べものにならない)、現地に行って会って話をして初めて分かることも多いのも現実なのだ。


土屋 大洋 常任理事/政策・メディア研究科 教授 教員プロフィール