MENU
Magazine
2025.09.16

太陽がいっぱい|健康マネジメント研究科委員長 石田 浩之

逗子の海岸から一本入った裏路地に知る人ぞ知るプチ・シアター「シネマ・アミーゴ」がある.座席数も10ちょっとしかなく,カフェが併設されている.ジャズ喫茶の映画館版という感じだが,映画のセレクションが凝っていて,いわゆる単館系の映画をはじめ,世界各国のインディーズ系映画も上映されており,ハリウッド映画に迎合できない私にとって,このシアターは貴重な存在となっている."わざわざ逗子まで行かなくてもいいじゃないか"と,家族からは呆れられているが,移動が全く苦にならないのは,私にとって逗子の海は幼少時の思い出がつまった土地だからだろう.幼少時から慶應義塾一貫教育校に学び,大正モボ(モダンボーイ)の典型であった母方の祖父は,西洋文化を好む人だったが,その祖父にへばりついて,私は幼い頃からいろいろな経験をさせてもらった.その思い出の一つが,"なぎさホテル"である.大正時代に逗子海岸沿いに建てられた同ホテルは洒落た洋館のクラシックスタイルで,皇族の方々にも愛されたホテルとして知られている.逗子旅「逗子なぎさホテル跡」

このホテルをヴィラのように定宿としていた祖父は,釣りが好きだった私を連れて,よく逗子の海に出かけてくれた.現在,ヨット部の合宿所がある鐙摺の防波堤や芝崎の岩場ではメゴチやアイナメだけでなく時々タコが釣れた.釣果を自慢げに見せると,ホテルの老支配人のご夫婦はいつも笑顔で「坊ちゃん,たくさん釣れましたねぇ」と優しく褒めてくれた.こんなほのぼのとした思い出の詰まったなぎさホテルだが,残念ながら廃業し,今は建物の跡形もない.後に知ったことだが,伊集院静氏も作家デビュー前の苦悩した時期を,支配人の好意もあってこのホテルの一室に居候として滞在していたという.その詳細は氏の著書「なぎさホテル」に譲るが,あの支配人ご夫妻がいたからこそ,"作家"伊集院静が誕生したことがよくわかった.なぎさホテル過ごした時間はたぶん重なっているのに,私はいまだに文章を書くの苦手だし,日記は幼稚舎時代からの大敵だった.支配人の温情をもってしてもこれだけはどうにもならなかったようだ.

さて,話を逗子海岸に戻そう.同海岸は飲食,BBQ,スピーカー音量等ついて日本一規制が厳しい海岸として知られているが,わが国独特の文化である"海の家"が続く街並み?であることには変わりなく,南欧の海岸でみる風景とは隔世の感がある.最近,Netflixの恋愛ドキュメンタリー「オフラインラブ」のロケ地となったことから南仏の街Niceが注目され,同地を訪れる日本の若者が急増したと聞く.海の家が続く日本の海岸線と比べたとき,Niceの海岸線Promenade des Anglaisはあまりに美しく,どうしても自分の目で見たいという衝動に駆られるのだろう.たしかにNiceも素敵な街だが,南仏の真骨頂は,海岸線に点在する小さな街々なので,これから南仏を訪れようと思うなら,ぜひ,Niceから海沿いを走る列車に乗ることをお勧めしたい.イタリア国境方面,Ventimiglia行きの各駅停車はVillefranche-sur-Mer, Beaulieu-sur-Mer, Roquebrune Cap Martin, Mentonなどの街を経てイタリアとの国境を越えるが,これらいずれの街にも,南仏を愛した芸術家や文化人の足跡が残っており,また,規模は小さいが独特のたたずまいのビーチがある.「太陽がいっぱい」(1960年ルネ・クレマン監督)のアラン・ドロンのラストの台詞ではないが,「meilleur...」(最高だ...)と呟いて,ずっと陽を浴びていたい,そんな至福の時を過ごすことができる.

特にRoquebrune Cap Martinは素敵な街だ.無人駅を山側に降りると崖を上る階段があるが,あとはこの階段をひたすら上って行く.歩くこと30分,崖にへばりつくように存在するRoquebruneの中世の村に到着する.村の頂には廃墟となった古城があるが,その城壁から見えるのが画像にある風景だ.海岸線ぎりぎりまで断崖が迫るという独特の地形ゆえ,断崖の上から見下ろす地中海は筆舌に尽くし難い美しさがあり,この景色はNiceやCannesでは決してみることはできない(写真1).

稀代の建築家,ル・コルビュジエもこの風景に魅せられた一人ある.彼はCap Martinの海が見渡せるこの地に,夏の休暇を過ごすための別荘を建てた.現在,この建物は"ル・コルビュジエの休暇小屋"として保管され(予約限定で見学ツアーあり),コルビュジエファンの聖地となっている.私は外観しか見ていないが,別荘と呼ぶにはあまりに簡素な丸太小屋ではあるものの,眼前に広がる景色があれば,あとは必要十分なスペースだけで良かったのかもしれない,残念ながらル・コルビュジエは彼が愛したCap Martinの海を遊泳中に心臓発作を起こしてその生涯を閉じた.だから,ル・コルビュジエの墓は,いっぱいの太陽と,美しい青い海が見下ろせる高い丘の上にある(写真2).




写真2(の解説):ル・コルビュジエはRoquebruneの高台にある共同墓地に埋葬されている.円筒形の墓石は隣に眠る妻,イヴォンヌのもの.
写真3(の解説):古城の麓にはこんな素敵なレストランがある.残念ながら日本では道路交通法の問題もあり,このような路上営業はハードルが高い

石田 浩之 健康マネジメント研究科委員長/教授 教員プロフィール